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詩と音楽・22


詩と音楽、8回目の発表です。 今回は「そらがあおいってなぜだろう」「蝉時雨終わるまで」の2曲です。

プログラム

1、写真と散文   青山潤三
2、詩とイラスト  三 角
3、曲       AYAKO

はじめは青山潤三氏の写真と散文です。

四川黄龍雪宝頂
中国「新」五岳
中国で"山"といえば、人間の生活や歴史と強く結びついた空間である。その代表が、中国「五岳」の、東岳泰山、西岳華山、南岳衡山、北岳恒山、中岳嵩山。いずれも人里からさほど離れていない地に位置し、標高は1000m〜2000m台前半、いかにも中国風の水墨画から抜け出てきたような独特の峨々たる山容の、歴史・宗教・文化的な立場から見て、極めて由緒正しき山々だ。一方、遥か彼方の雲上に浮かぶ、5000〜7000m級の峰々は、ある意味、「山」でもなく、「奥地」でさえない、いわば自分達とは全く関わりのない、異次元の空間でしかなかった。しかし、近年は、それら奥地の高峰も、中国の一般市民の視野に入ってくるようになりだした。四川省北部の九塞溝・黄龍渓谷の背後に聳える標高5588mの雪宝頂は、南隣の雲南省の「世界文化遺産の町・麗江」に覆い被さるように聳える標高5595mの玉龍雪山とともに、今や、中国観光のメッカである。雪宝頂−玉龍雪山の直線距離は約800km。その中央辺りに、世界東端の7000m峰、ミニャゴンカ7556mが鎮座する。ミニャゴンカと雪宝頂の間には、パンダで有名な臥龍を麓に控えた標高6250mの四姑娘山。ミニャゴンカと玉龍雪山の間のやや西寄り、四川・チベット省境に接した雲南省最北部には、標高6740mの梅里雪山。五つの氷雪の峰を称して、"中国「新」五岳"はどうだろうか?。いずれの地も、10数年前までは秘境中の秘境。さすがに頂上まで登るというわけには行かないけれど、今ではすぐ手前の氷雪の地まで容易に辿り着くことが出来る。黄龍渓谷には、一度バスで4200mの峠を越える。峠の正面には、青空の下に白く煌めく雪宝頂の頂、周囲は一面のお花畑、晴れていればのんびりとしたいところだが、一度バスを降りてしまうと、後は数10kmを歩いて下るか、ヒッチハイクを試みるかを、覚悟しなくてはならないのである。



次は、三 角さんの詩とイラストです。
そらがあおいってなぜだろう

そらがあおいってなぜだろう

作詞 三 角・ 作曲 AYAKO

そらがあおいって なぜだろう
あかいふうせん にあうから
しろいくもが にあうから
あおいちきゅうって なぜだろう

たいせつないのちって なぜだろう
チョコとかえっこ できるかな
ばくだんおちても へいきかな
だっていのちって ひとつきり

きみはわかい ってなぜだろう
あんなにはやく はしるのに
あんなにやさしく うたうのに
せかいはおとな っていえるかな

そらはあおいって ほんとかな
うみはあおいって ほんとかな
いのちはたいせつって ほんとかな
きみがたいせつ ってほんとだよ

[ココをクリックすると曲が鳴ります]

☆この詩は表面上はとても可愛い童謡のような詩ですが、空の青さ=地球の青さ、命の大切さ、今でも戦争の絶えないこの世界は本当に大人だと言えるのだろうか?
私たちの心に問いかけている詩だと思うのです。

いのちはたいせつって ほんとかな
きみがたいせつ ってほんとだよ

という部分が、最も伝えたいメッセージだと受け止めました。
愛する身近な人の命を考えたときに、地球上の命の大切さがわかってくるはず。

そらがあおいってなぜだろう

そらがあおいってなぜだろう2


いかがでしたでしょうか。
次は、「蝉時雨終わるまで」です。

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