マスターの酒場には、ほとんどお客がきませんでした。マスターが再びここに帰って来て、酒場を再開したことを、街の人たちに知らせてなかったからです。
時折訪れるのは、旅人くらいのものでした。
そんなある夜、いつものようにマスターが、クロネコブルースを聞きながら、ウイスキーをちびりちびりやっていると、ドアをノックする音がしました。
「どうぞ、お入りください。」と言うと、背の高いすらりとした、若い雌猫が入ってきました。
マスターはそのあまりの美しさに、目を奪われました。
真っ白い毛並みに、濡れたように輝く、ブルーの瞳をした猫です。
マスター「お客さん、どちらからいらっしゃいましたか?こんな夜に、若いお嬢さんが1人で来られるとは。。。」
マリー「私はずっと1人で旅を続けている猫です。夜の外出も慣れているのです。それにここは、私の故郷。たった今旅から帰ってきたところです。マスターは私のこと、覚えていないのですか?」
マスターはもう一度その雌猫をじっと見つめました。そういえば、どこかで会ったような気がします。
マスター「もしかしたら、仔猫だったマリーかい?
時々のんべえのオヤジに連れられて、ここに来ていた!!」
マリー「そうよ、マスター、やっと思い出したようね。」
マスター「驚いたな、こんなベッピンになっちまって。全然わからなかったぜ。」
それからしばし、昔話に花が咲きました。
父親と2人きりで暮らしていたマリー。その父親は、マスターが店を閉めて、出て行ってから、まもなくして亡くなったそうです。
一人ぼっちになってしまったマリーは、この街を出て、旅することにしました。
子供のころから、歌うことが好きだったマリーは、旅をしながら、お金が無くなると、酒場で歌って、また旅を続けてきたそうです。
マスター「恋猫はいないの?」
マリー「ええ、恋をしたことはあるけど、失恋に終わってしまって、今は1人ぼっちです。」
マスター「やっと故郷に帰ってきたんだ。しばらくここで暮らすつもりなのだろう。うちの店に来てもいいが、ごらんのように閑古鳥が鳴いていて、給料を払うことができないんだ。」
マリー「マスター、ご心配ありがたいのですが、2,3日したら、また旅に出るつもりです。私は生涯旅猫でいようと決意したのです。旅立つ前にもう一度ここに寄りますよ。」
その夜マリーが言った言葉は、マスターの心を揺り動かしました。もしかしたら、ずーっと以前から、自分でもそうやって生きていきたいと思っていたことだったからです。
3日後にマリーが立ち寄ったときには、マスターの気持ちはもう決まっていました。旅の用意もすっかり出来て、あとは、
『又、旅に出ます。今度は帰らないかもしれません。』
という貼り紙を玄関に張るだけです。
マリー「マスター、本当にいいんですか?あとで後悔することになるかもしれませんよ。」
マスターの脳裏には一瞬エミーの顔が浮かびましたが、
「マリー、後悔なんてしないよ。さあ、出かけよう。」
東の空が、明るくなり始めると、2匹は酒場をあとにしました。
づつく
☆以前のストーリーをご存知ない方は、
5、「地上に戻ったグレの巻き」をごらんください。
つづく